ハイライト2

ここからは高校編ということで。高校に入る前から陸上部に入ると決めていた平野少年は旭陸に入りました。だが、この時の自分はちょっと陸上経験があるってことに浮かれ、中学みたいに厳しくない環境ということも相まって正直思い出したくもないくらい自堕落していましたし、視野も狭く、100mしか走ったことのない僕は100m走しか自分の道はないと思い、けれども身内の中で11秒0で走る同級生の友達もいて、自分は無理だなと思い、前途に光明を見出せなくて練習に不熱心でした。結局100m走の高1のベストは11秒69でそれを最後に1年以上100mのタイムは上がらなくなりました。
110mHも高校になると高さがすごい変わって、もう跳べないと勝手に決めつけて諦めていました。体力も全然なく、八種競技の1500mは5分46秒とボロボロでした。この時の自分は本当に中途半端で半端な考えで、なぜ自分は陸上をやってるんだろう?あんなに意気込んでいたのにこのざまだ、と本気で思ってました。でも、自分の中で途中で辞めるという思いはありませんでした。自分は自堕落しても旭陸自体はすごい楽しかったので、一緒に練習をしてくれた仲間にはとても感謝してます。でも、このままじゃいけないことも確か。なので2年生になってもっと頑張ろうと思いました。でも、何かを始めたりする時、逆風はつきもの。僕は長い長い冬の時代に突入しました。五月に総体予選がありました。自分はその時に初めて400Hをやったのですが65秒とボロボロでした。まぁこの時は400も遅かったんで当然といえば当時の結果でした。問題はリレーです。前述した11秒0で走る友達が肉離れでリレーに出れなくなりました。当時、3年生の短距離は6人いて、3人がリレーのレギュラーメンバーで残りの一枠にその友達が入っていました。しかし、その友達が出れなくなったので、僕は僕と同じくらいのタイムで走る先輩が出るだろうと思っていました。しかし、実際走ることになったのは僕でした。なぜ?と思い、これじゃあ結果を出せなかった時に先輩にとても申し訳ないと思い、前日に髪を坊主にしました。しかし、その思いも虚しく予選落ち。僕はショックでした。東海大会まで行ってるリレーチームだったのにこんなところで自分が出て駄目だった。先輩方はよく走ってくれたと言ってくれました。でも、こんなんじゃ自分じゃなくて最後は先輩が走った方が良かったし、そのリレーにかけていた先輩の思いも踏みにじったような気がしました。何より「こんな奴に走らせたくなかった」という友達の言葉がグサリと刺さりました。そして僕は「自分は弱い」と思いました。でも、結局のところ弱いことを焦る気持ちばかりで100mは上手く走れるようになりませんでした。むしろ一年の頃よりタイムが落ちていきました。そして捻挫。何もないところで足をひねりました。リレーも行けずに、捻挫をして、自分は本当に何をやってるんだろうと思いました。そして捻挫は何回か繰り返し、それが響いて合宿直前まで練習ができませんでした。そんな状態で乗り込んだ合宿、今まで勝ってた友達達に負けたりして非常に悔しい思いをしました。それでも足を止めずに、ひどい筋肉痛に悩まされながらも合宿を全力で走りきりました。その甲斐あって合宿以降は400が伸びました。と同時に400Hも伸びて58秒37まで伸びました。しかし、100mは伸びずじまいでその年のベストは11秒81で終わってしまいました。そして、冬が訪れました。自分はこの100mのタイムを受けて、腕振り先導の走り方をするようになってしまいました。結局のところこの走り方は最悪で自分は泥沼にはまってしまいました。効率の悪い走り方のせいで明らかに遅くなっていき、冬練も毎回足がつったりして全然走れずに、それでも一生懸命走るのですが色々な人に負けまくってすごく悔しい思いをし、また自分は何をやってるんだろうと思い、高一の時とは違う自暴自棄に陥りかけました。あまり、体調管理にも気を遣わなくなり、多分体重も結構増えてしまったと思います。それでも毎日練習があって、陸上を楽しくないと思い、やっぱり総体までが限界かな、まぁそこが引き時かなと思ってました。しかし何故だろう?3月の終わりくらいから突然、自分はこのままじゃ駄目だと思うようになりました。それが始まりでした。自分はまず体調管理を始めました。体を良い方向に持ってくために1週間、夜ご飯はおにぎり一個だけの生活をしました。それにより、自分の体はだいぶ絞れました。でもそれだけでは何も変わらず、とりあえず体だけできたという感じでした。そして4月の上旬に不整脈が発覚しました。不整脈自体は命に別状はないのですが、パワーが人より15%減って不利になると言われました。僕は陸上を続けれないのも覚悟していたのでホッとしました。そして体が思い出しました。中2の頃の骨折を。この不利な状況、バンバンに逆風を感じました。そして、どうせ不利で人よりも劣るんだったら、人とおんなじような結果が出なくて当たり前じゃん。じゃあ、何も人と競う必要ないじゃないか、気張らなくてもいいじゃないかと思ったのがスランプ脱出の鍵でした。そして翌週の国体強化で一年半ぶりの100mのベストを更新し、400Hのベストも更新しました。さらにその後の練習でも自分の力は爆発的に上がり始めました。その力は総体まで上がり続け、そして総体中に覚醒しました。一番伸びたのは400Hでこの1ヶ月でベストを2秒近く更新しました。名北総体は2位で県大会出場の切符を手に入れ、2年前、県大会に行くのは無理だと決めつけてた自分をやっと超えることが出来ました。ここまでの道のりは本当に長かったです。苦しい思いも何度となくしました。それでも諦めなかったのはやはり病院で一人勉強をしていた自分の姿。あの時の自分があるから今の自分がいると思います。僕はそれにとても感謝してます。不整脈もその感謝の中に加わりそうです。今までの様々な試練に感謝をします。そして、今の今まで自分が健康で安全で生きられたこと。そしてそんな自分を見守っていただきありがとうございますということ。そしてまた明日も健康で安全で生きられるようよろしくお願いします。と神様に報告をし、眠りにつきました。
Another story2〜自分とThe Beatles〜
The Beatlesは僕の励みです。歌詞はよくわからんでもあの音楽に幾たびも心が浄化されるような気持ちにさせられました。今でもThe fool on the hillを聴いてると受験期の秋、朝の4時半にランニングをする自分を思い出し、Somethingを聴いていると受験期の色々と揺らいでる自分を思い出します。The Beatlesとてもお勧めです。
Another  story3〜永遠の0〜
この本は僕を2次大戦マニアに引き込んだ元凶です。何度となく読みました。10回以上は読んだと思います。その度にウィキペディアで調べたりとどハマりしました。実は納得のいく結果を残して華々しく散りたいと思ってる今の自分の心境はここから来てるんじゃないか…なんてね


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コメント: 2
  • #1

    らー (土曜日, 13 5月 2017 12:32)

    すごく内容の詰まっているいいブログですね

  • #2

    ハリスン (土曜日, 13 5月 2017 13:40)

    自分は今まで自分の情報を全く発信してきませんでした。しかしこの1ヶ月、不安に思うことも多く、自分のやってきたことに自信を持てなくなったり、気持ちを整理したい、落ち着かせたいという思いから自分が思うところや今までの事を振り返ることで気持ちを保つという目的でブログという形で情報発信してきました。おそらくこれで全てです。とてもすっきりしました。最後にブログを勧めてくれたM本に感謝します。ありがとうございます。