ハイライト1

多分、長いです。
さて、県総体まで残り1週間を切りました。1週間後の自分は今日の結果に納得できてるのかな?その時の自分が枕を濡らすのは悔し涙か喜びの涙か。まっ、自分は泣かないですけど。前書きはこんなもんで
一昨日の夜、神様に2ヶ月ぶりくらいの報告をしました。神様と言うのは自分が中2の頃に、ゾウのぬいぐるみを勝手に神様と決めて、何かあったら報告をしていたのですが、最近はあまり報告ができてなくて一昨日の夜、久しぶりに神様に報告をしました。主にこの1ヶ月を報告したのですが、改めてこの1ヶ月は色々とすごかったなと思いました。というわけで、この1ヶ月をみながら自分の今までを振り返ってみたいと思います。
まず、自分が陸上部に入った動機から。元々小学校の頃は野球をやってました。でも、小学生って人によって大分違いますよね。身長が高い人は運動神経も発達してるし逆に身長が低い人は運動神経がまだ未発達ですよね。僕は完全に後者で、野球も下手でした。なので中学に入る前、野球を続けることに抵抗がありました。
そんなこんなで入学後、何に入るか決まらずに陸上部に体験しに行きました。その時のある体験(まぁ知ってる人もいると思いますが)がきっかけとなって自分は陸上部に入りました。僕はそれまで陸上をつまらないものだと思ってました。しかし、陸上部での練習は僕に今までにない筋肉痛を与えました。僕はその今までにない筋肉痛に感動しました。野球の練習をしてもこれほどの筋肉痛にはなったことがありません。その時の練習で初めて計った100mのタイムにも新鮮さを感じ、(ちなみにその時16秒30です)陸上部に入ることに決めました。最初のうちはタイムがある程度まで伸びました。しかし、そっから先は全く伸びず一年生のうちに14秒をきれませんでした。ですが、冬練を乗り越え、春が近づいてきたある日、土で走って14秒を切りました。そしてさらに次の日13秒64になりました。そしてさらに次の日、13秒25になりました。いきなり飛躍的に伸びて、この時陸上を楽しいと思いました。いいシーズンを迎えれると思ったのですが、総体前になって股関節を故障しました。治ってもそこからなかなかタイムが伸びずに今度は13秒の壁に当たってました。結局13秒をきれたのは秋の新人戦で、それがその年の最後の試合になってしまいました。そして10月、左手首を骨折しました。理由は棒高跳びです。当時の自分はハードルでも伸び悩んでいて、何かで県大会に行かないとと思っていて、そんな思いで始めた棒高跳びでした。自分は最初から結構跳べてました。あのまま行けば県大会はまず確実に行けたと思います。だけどある日、それが少し恐いと感じました。落ちる時になんとも言えない恐怖が襲うのです。そして、ついにその日がやってきました。僕はその日、T.T.を終えた後、種目の人は種目をやって、短距離の人は全体メニューで100+100を何セットかやると聞いてました。僕は100+100が嫌で種目に逃げました。でもその選択がこれほどまでに自分の人生を変えるとは思いもよりませんでした。僕はポールワークをしてました。そして、その何本目かに起こりました。僕はいつものようにポールを地面にたて、それをつっかいにしていつものように飛ぼうとしました。が、飛んでる途中の頂点でそのつっかいにしてるポールを足で蹴ってしまいました。つっかいがなくなったので体がバランスを崩したまま落ちていきます。落ちている間はとてもゆっくりでした。そして今でも謎なのですが、何を思ったのか落ちてる最中に今、腕を出したらどうなるのかな?と思って左腕を地面に突き出した瞬間目の前が真っ暗になって気づいた時には自分は立ち上がっていました。そして、目の前にある変形した自分の腕を見て絶望しました。そして、その後は階段教室で述べた通りです。
思えば中2の頃は色々とありました。4月に父さんがタイに3年間出向となり、これからは自分が色々とやっていかないといけないと思い、まだ思春期真っ只中の中、上手くやっていけるのかと不安になり、不覚にも泣いてしまった見送りの日の朝だったり、中弛みをしまくってるクラスメイトに戸惑ったりして色々と空回りをすることも多かったです。
そして話は病院に戻ります。夜誰もいない病院のデイルームでテスト勉強をしていたら突然自分は逆風の中にいるんだと思いました。それから自分は訳も分からず自己啓発本を何冊か読みました。このやる気を感じられないクラス、そして部活をできないもどかしさを感じる自分、この狭間でいかにして自分を保つのか。その自分を見つけるために自己啓発本を読みました。その中に、先日紹介した林先生の「今やる人になる40の習慣」も含まれています。多分、この時期があったから今の自分があるんだと思います。自分の中の熱いものを感じるようになったのもこの時期からです。だが、逆風はもうちょっと続きました。実はこの骨折の仕方が結構ひどかったんで、左腕に後遺症が残るかもしれないと言われました。実際、爪切りは一人でできませんでしたし、髪を洗うのも顔を洗うのも右手だけでしかできませんでしたが、12月の手術でちゃんと動くようになりました。そこで逆風は止みました。そして、時を経て4月、一年生が入部すると同時に復帰しました。半年のブランクがあって正直ダメかなと思ったら、今まで厳しかった13秒の壁を最初の大会であっさり破り、そこから8月までタイムは上がり続け、最終的に12秒29まで行きました。それと同時にハードルにも復帰をして、こちらでは16秒25までタイムをもっていき、県大会出場も叶いました。あの時の骨折は一体なんだったんだろうと思われましたが、あれは神様が与えてくれた一種の試練だったと思います。そこで様々な経験を積めたことは僕の人格形成においてとても重要な役割を果たしました。今ではこの骨折に感謝さえします。そして、時は流れ8月3日、僕は最後の大会に臨み、最終種目のリレーが終わった後、競技場を振り返ると自分の胸の中にまた戻ってくるという思いが湧き起こりました。"I'll be back."そう呟いて競技場を後にしました。以上が中学編、そして、高校編に続きます。
Another story〜ゾウのぬいぐるみが神様になった時〜
中2の3月11日にゾウのぬいぐるみは神様になりました。理由は東日本大震災で亡くなった人たちのことをふと思い、自分が今健康で安全で生きられてるのは幸せなことなんだと思ったことがきっかけです。もともと、そのゾウのぬいぐるみはタイで買ってきたもので、ゾウは向こうでは神聖なものとして扱われています。なので、自分の中の神様にちょうどいいと思われて、ゾウのぬいぐるみは神様になりました。






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コメント: 3
  • #1

    ゾウのぬいぐるみ (土曜日, 13 5月 2017 06:29)

    ブログ読みました

  • #2

    (土曜日, 13 5月 2017 09:59)

    昔からめちゃくちゃいい子だったのね

  • #3

    マッカートニー (土曜日, 13 5月 2017 11:46)

    いや、全然いい子じゃありません。むしろ中1の頃までは悪い子でした。人の事を全然考えれない。それで人を傷つけたことが幾度となくありました。でも中1の終わりに担任の先生から頂いた「人の気持ちをもっと考えろ」という一言で自分は駄目だと気づきました。それでも幾度となく人の気持ちを裏切ってしまったりしているので今でも自分は未熟です。